2017/03/16: 調布市散歩;木瓜爺撮歩96-59-1 三栄山大正寺〔1:廣福山常行院栄法寺 跡〕 (No.2986)

「三栄山大正寺」に行こうとしていた木瓜爺が、ちょっと気が変わった理由を書きましょう。昨日の「新編武蔵風土記稿」の記述に関係があるのですが、あそこに出てきた原永法という方が出家して、神社の直ぐ隣に草庵を造ります。それが後に「永法寺」になり、「布多天神社」の別当寺になっているのです。「新編武蔵風土記稿」によれば、『別當永法寺 除地三段九畝二十七歩 本社の東にあり 新義真言宗 都築郡麻生村王禅寺の末 廣福山常行院と号す 開基の由来詳ならすといへとも縁起に載する處は 前m96-59-02 F7595条の如し(注:神社の方の中略した部分に書かれていました)法流開山は宥譽とて享保十年四月三日寂す 本尊木の木像 長二尺五寸 客殿七間半に五間』。此の寺は、現在は「大正寺」に組み込まれていますが、何となく、何か残っていると感じたのです。この辺の感じを、木瓜爺は呼ばれたと表現することが多いのですが・・・出て行ってみると、なにやら怪しいでしょう?右の土塀は「大正寺」の塀のようですが、上に歩道橋?のようなものがあって、下には石柱が建っています。「布田鄕学校跡」という説明板がありました。江戸時代の公共教育施設だそうです。これを作ったのも「原」氏ですね。ここに「栄法寺」があったことが書かれています。右下の石にも「栄法寺」。「永法寺」が「栄法寺」に変わって居たのでしょう。m96-59-03 F7596

 

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先ほどの右下の石碑は「栄法寺布田鄕学校跡」でした。そして、石灯籠がずらりと並んだ参道があります。山門らしいものも奧にあるようです。m96-59-05 F7599 大正寺墓苑

 

  これは、見過ごすわけには行きません。m96-59-06 F7600

 

やはり、山門です。六地蔵もおられます。並んだ新しい六地蔵の後列に、古い六地蔵もおられました。これが何とも良い感じ。高さの不揃いが気に入りました。m96-59-08 F7602

 

山門の中には、弘法大師修行姿も見えます。m96-59-09 F7605こちらの施設は、全体が「大正寺墓苑」となっているのだそうです。

「大正寺」は、「廣福山栄法寺」と、「紫雲山寶性寺」、「三栄山不動院」の三寺が大正4年に合併、三栄山大正寺として創建したのだそうです。「紫雲山寶性寺」は、「下布田宿」の寺、「三栄山壽福寺不動院」は、「小島分村」にあったお寺です。いずれも「新編武蔵風土記稿」に記載された寺院でした。

歩道橋のようなものは、大正寺への近道。一般人は通行止めになっていますが、大師堂m96-59-10 F7609につながっているようです。元の道に戻ると、土塀のところに寺名のネームプレートがありました。「三栄山」「常行院」など吸収した寺の名前ですね。多分、三山集めたので、「三栄山」にしたのでしょう。大正寺の竜宮門のほうに戻りながら右上を眺めますと、先ほどの歩道橋の端っこが見えて居ました。「額」が読めないかな? 見えました。「大師堂」です。こういうときは、HS30の超望遠が有難いですね。望遠鏡代わりです。

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