10月3日:国分寺巡り(8) 上野国分寺跡 & 摂津国分寺跡

このブログが、私のブログの999通目だとなっています。実際はWindows Live のSpacesに投稿した最初のブログが消えてしまっているので、本当はこれが1000回目だったのです。よくがんばっていますね。今日はこれからまた老人クラブ業務です。今月は15日までがやたら詰まっています。

9/30 久しぶりに川原に座り込んだのですが、カワセミは2度通過だけで、写真0です。釣だと「ボウズ」というらしいですね。常連4人いましたが、全員ボウズだったようです。ただし、私が行く寸前に、ジャンプして魚を銜えて水から飛び出したのにシャッターを切った人がいました。ところが、置きピン方式だったもので、レンズが鳥のいないところに向いていたとのこと。悔しがっていました。

そんなわけで、今日のブログは、皆さんにはつまらない国分寺巡りです。「上野(こうずけ)」というのは、現在の群馬県。上野国分寺跡は、群馬県群馬町にあります。現存する寺はなくて、寺跡だけと言って良いのでしょう。ただし、復元された築垣や資料館の建物が造られています。

koutsuke148

koutsuke147

koutsuke150

koutsuke149

初期の国分寺には、五重の塔ではなくて、七重の塔が建っています。当時としては大変な技術だったのでしょうね。この上野国分寺は塔の礎石がほぼ完全に残っているのが特徴だと思います。説明板の前の写真が塔跡です。中心に当たる部分には、別の石があって、真ん中にくぼみがあります。このくぼみが「仏舎利」を納める穴です。

武蔵国分寺の塔跡は、真ん中の石はありましたが、柱用の基礎は少なかったように記憶しています。石だけから見ると、上野国分寺の方が高い塔だったのかもしれません。

koutsuke152

これは、基壇と呼ばれる構造物。この上に金堂があったということです。

koutsuke153

koutsuke154

こちらは築垣の説明です。こんな具合に作られています。

koutsuke155

koutsuke159

意味ありげに、大木が立っていました。ウーン、ちょっとスキャナー読み込みのときゴミがあったようですね。

このように発掘して国分寺跡だけという場所は良いのですが、ほんとに石碑だけという場所も幾つもあります。次の例は、大阪の「摂津国分寺跡」です。摂津国分寺が本当にここなのか、別の場所なのか、はっきりしないと最後の看板にでてきますが・・・・

settu528settu529国分寺跡の碑があった公園settu538国分寺跡

天王寺区の一角です。公園がありました。そこに、「摂津国分寺跡」という石碑が建っています。

settu539国分寺跡

この説明のように、大阪には「国分」「国分寺」という地名が複数あるため、かつ、遺構がつぶされてしまっているために、特定出来ないらしいです。現在はここが「摂津国分寺跡」とされているのです。

最後は、先日の巾着田の彼岸花でお茶をにごしておきます。

M_2864 白彼岸花

m-787彼岸花

カテゴリー: 趣味, 旅行 パーマリンク

10月3日:国分寺巡り(8) 上野国分寺跡 & 摂津国分寺跡 への2件のフィードバック

  1. taj1325 より:

    ブログ投稿千回達成おめでとう御座います。アーカイブの記録をたどってみましたら、2008年12月20日が初回で約2年9ヶ月+11日で1011日で1000回達成ですね。本当に凄い事だと感心してます。私の方は2010年10月3日スタートで丁度1年になります。お寺巡りをしていた2010年10月から2011年1月まではほぼ毎日投稿してますが、2月以降は半減して、6月以降はさらに減ってしまいました。

    • kzmuraoka より:

      ありがとうございます。これも皆様のはげましのおかげです。本当は2008年12月19日に、このブログの目的、つまり老人の生き様の記録をします、といった意味の開始宣言をしているのですが、LIVEからWordpressへの移行の際に、誤って削除してしまったのです。まあ、そのかわり、Wordpress側でのテスト投稿みたいなものがありますので、総数的にはつじつまが合っているようです。どこまで、続けられますかね? 自分では全く分かりません。
      書く方もさることながら、続けて読んでくださっている皆さんもすごい! 感謝、感謝です。(爺)

コメントを残す