立石寺は、通称的に「山寺立石寺」で通りますが、山名もちゃんとあり「宝珠山立石寺」が名称です。立石寺は現在「りっしゃくじ」ですが、昔の読み方は「りょうしゃくじ」だったようです。これから、根本中堂に向かいますが、根本中堂というのは何かという話を先にしておきます。天台宗の大きなお寺というと、まず総本山である「比叡山延暦寺」ですね。そして、江戸では別格大本山、上野の「東叡山寛永寺」。そして山寺の「宝珠山立石寺」。この三つのお寺に「根本中堂」があります。「根本中堂」というのは、天台宗の大きなお寺の「本堂」なのです。 「根本中堂」には、オリンピックの聖火ならぬ、「不滅の法灯」とよばれる天台宗の聖火が保存されており、織田信長が比叡山焼き討ちによって、延暦寺の法火が消えますが、その復興に際して、立石寺の法灯の火を比叡山に持って行ったそうです。
余談ですが、今回、開帳の薬師如来像の周囲には、日光菩薩月光菩薩十二神将などの像があったのですが、これらの古仏は現在、寛永寺の根本中堂に祀られているそうで、立石寺は、新しい像を飾っているとのことでした。
忘れない内に書いておきますが、今回の5/31までの開帳を見損なった場合、あと4日だけ、特別開帳日があると聞きました。6/13(金),7/14(日)、8/4(日),10/20(日)。これを逃すと、次は50年後です。
さて、山寺駅改札をでました。
小さな駅です。横に面白い建物が付いていました。
五大堂を真似た(?)のか、展望台です。駅のホームから眺めるのと、大して違わないでしょうが、ちょっと上がって見ます。
ちょっとカメラをふりまわしてみました。
なるほど・・・・
駅前の道を直進すると、T字路。このあたりに、宿は2,3あるようです。駅舎といい、旅館といい、寺院風のデザインをしていますね。
右に曲がって進み、次の道を左折して、川を渡ります。
この辺りまでは、観光客の姿も少なく、これは、薬師如来をじっくり拝めるかも、と、期待したのですが・・・ 面白い「土産店」を見付けました。
店の品、すべて1000円の看板。1000円ショップですね。帰りに寄ってみようかと思ったのですが、帰りは道が違うので、忘れてしまいました。旅館と土産物店の駐車場の間に小さな社がありました。赤い社なので、お稲荷さんかもしれません。
この社の脇の駐車場辺りから、人があふれ出してきました。ツアーのバスです。次から次へと、バスがやってきます。 混み出してきたなあ、ちょっと急ぐか・・・と、思った途端に、道を間違えます。たいした間違いではないのですが、一本早く曲がってしまったのです。というのも、この看板のせいです。
「山寺日枝神社登山口」です。地理がよく分かっている人ならこれでも良いのでしょうが・・
説明すると、正しい道は、根本中堂の真正面にあり、日枝神社というのは中堂の左隣にあります。そして、その更に左に山門があるという滅多に見かけない順序で並んでいます。神社が寺の境内を分断するように入り込んでいるのです。神仏混交時代の構造がそのまま残っているわけです。
この日枝神社登山口は階段です。
鳥居をくぐり、少し進んだ所から石段ですが、左下に看板が見えます。
この石段だけで、108段だそうです。一段上がるごとに、煩悩が消えていって、登り切ると煩悩がすべて消えるそうです。途中踊り場のようになったところで、右の方を見ると、中堂正面の参道に人が並んでいるのがみえました。あ、あっちが正しかった! でもまあ、煩悩を消す方が先だ・・・と石段を登り切り、軽く日枝神社にご挨拶だけして、右にスライド・・・中堂の前で、参拝券を求め、行列に並びました。ちょっとまばらに見えますが、これは、前の人達がもたもたして、間を開けてしまったせいです。 上の方の行列は、右側の写真をご覧のとおりです。
待つこと25分位で、ナントカ、靴を脱ぐ場所までは行ったのですが、根本中堂の中が、何度も折り返す形の長蛇の列なのです。更に20分、そして、撮影禁止! まあ、普通といえば普通ですが、写真を撮しに来た人間には、がっくりですね。・・・・くたびれたので、続きは明日に・・・